東京高等裁判所 昭和41年(う)2605号 判決 1967年9月06日
控訴人 原審検察官
被告人 外山彦一 外七名
弁護人 東城守一
検察官 蒲原大輔
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、本件差戻前の控訴審において提出された検察官山本清二郎名義の控訴趣意書及び検察官伊藤嘉孝名義の控訴趣意補足要旨に記載されているとおりであり、これに対する被告人らの答弁は、同控訴審において提出された弁護人東城守一名義の答弁書に記載されているとおりであるから、いずれもこれを引用する。
一、よつて検討するのに、右控訴趣意は論旨多岐にわたつているが、その中心的な主張は、
原判決が、公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する)第一七条違反の争議行為につき、それが形式的に他の刑罰法規(本件では郵便法第七九条第一項)にふれる場合においても、なお労働組合法(以下労組法と略称する)第一条第二項、刑法第三五条の適用を受け、その違法性が阻却されるとし、本件被告人らに対し各無罪を言い渡したのは、法令の解釈適用を誤つたものであり、右のような争議行為に対し労組法第一条第二項等を適用する余地はない。という点に存するところ、
最高裁判所大法廷は、本件に対する判決の理由六において、「郵便法七九条一項は、……(郵政職員の)争議行為にも適用があるものと解するほかはない」としながらも「ただ、争議行為が労組法一条一項の目的のためであり、暴力の行使その他の不当性を伴わないときは、……正当な争議行為として刑事制裁を科せられないものであり、労組法一条二項が明らかにしているとおり、郵便法の罰則は適用されない」旨を判示し、検察官の右主張と全く異る見解を表明した(尤も、右大法廷の判断は、本件差戻前の被告人らの上告趣意及び弁護人東城守一、同山本博の上告趣意に対するものとしてなされた関係上、右検察官の控訴趣意の中に掲げられている幾つかの論拠中第二の二の(一)、(三)の(ホ)(ヘ)等については特にその見解を明示していないようであるが、これらの論拠の趣旨は上告審における検察官の答弁書中第一点の(イ)(ロ)(ホ)及び第二点等に受け継がれているところであり、同法廷としては、これら検察官の論拠をも考慮に入れたうえで、その主張を排斥し、敢えて前記見解を採るに至つたもの、と解されるのである)。
而して、本件の差戻を受けた当裁判所としては、法律上当然に右大法廷の判決に拘束され、これに従わねばならないので、検察官の右控訴趣意については、結局その理由がないものとしてこれを排斥するほかはない(因みに、検察官自身も、当審公判の冒頭において、従前の意見をそのまま維持するものではない旨、言明している。)
二、ところで、右大法廷判決は、前記引用の判示に引き続き「これを逆にいえば、争議行為が労組法一条一項の目的に副わず、または暴力の行使その他の不当性を伴う場合には、右の罰則が適用される」旨判示し、なおその前段(理由の五の末段)の中において、右各判示の前提的見解として「……もし、争議行為が(イ)労組法一条一項の目的のためでなくして政治的目的のために行なわれたような場合であるとか、(ロ)暴力を伴う場合であるとか、(ハ)社会の通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合には、憲法二八条に保障された争議行為としての正当性の限界をこえるもので、刑事制裁を免れないといわなければならない」旨説示し(但し、(イ)(ロ)(ハ)は当裁判所において便宜上付したもの)、そして最後(理由の七の第二段)に「……本件……石崎民次らの行為については、……はたして同条項(労組法一条二項)にいう正当なものであるかいなかを具体的事実関係に照らして認定判断し、郵便法七九条一項の罪責の有無を判断しなければならない……」と言い、これらの点につきさらに審理を尽させることをもつて本件差戻の理由としている(なお当審の検察官も、本件は右(ハ)の場合に該当する旨力説している)ので、本件が右(イ)(ロ)(ハ)のいわば例外的に刑事制裁を受けるべき場合に該当するかどうかについて、以下当裁判所の判断を示すことにする。
三、本件公訴事実中、被告人らの教唆を受けこれに応じたとされている石崎民次ら三八名による職場離脱及び郵便物不取扱の事実、即ち昭和三三年三月二〇日午前二時三〇分頃、東京中央郵便局普通郵便課伝送掛、集配課配達内務掛及び同配達外務掛において現に宿直勤務中若しくは休憩(仮眠)中の石崎民次ら別紙一覧表記載の従業員三八名が、同年一月下旬以来行なわれていたいわゆる春季闘争の一環として、同人らの加入している全逓信労働組合東京中央郵便局支部の開催にかかる勤務時間内職場大会に参加するため、所属上司の許可なく職場を離れて庁舎外に退出し、右三八名のうち高野好次、福石礼造、宮内勘三郎の三名は同日午前八時五〇分頃まで、その余の者達は各自の勤務時間の終了する同日午前九時ないし一〇時を過ぎた後まで、いずれも職場に復帰せず、右一覧表中の「郵便物不取扱時間」欄に記載の時間(右各職場離脱時間中の各人の勤務時間のうち、休憩(仮眠)時間及び現実に郵便物を取り扱うべき職務を課せられていない休息時間を控除したものであつて、換言すれば、同人らが現実に郵便物を取り扱うべき義務を有する時間である)中において、当時各職場内に存在し掛毎に共同して取り扱うべきであつた郵便物(普通郵便課伝送掛においては甲種郵便物約一五、七〇〇通、乙種郵便物約四九、〇〇〇通、集配課配達内務外務両掛においては合計して普通郵便物約一三八、〇〇〇通、普通速達郵便物九五三通、書留通常速達郵便物六〇九通、普通書留郵便物三、五八三通)の取扱をしなかつたという事実は、原判決の理由中第二の一にいうとおり(但し原判決が一三八〇〇通としているのは一三八、〇〇〇通の誤記と認める)、諸般の本件証拠によりこれを認めることができる。
そして、右事実が、公労法第一七条第一項にいう業務の正常な運営を阻害する行為即ちいわゆる争議行為に属し、且つ郵便法第七九条第一項の構成要件に該当することも、原判決の理由中第二の二、三に説示しているとおりである。
四、そこで、先ず、本件の右争議行為が前記(イ)のような「労組法一条一項の目的のためでなくして政治的目的のために行なわれたような場合」に該当するかどうかについて、考察する。
前記大法廷判決が労組法第一条第二項の適用を排除すべき場合に関する基準の一つとして掲げる右(イ)の「……政治的目的のために行なわれたような場合」というのは、必ずしも弁護人所論のように当該争議行為が日本国憲法の予定する政治機構即ち議会制民主々義を破壊する目的で行なわれるというような場合に限定されるべきものではないが、さればといつて、その争議行為の掲げる要求項目の中に苟しくも政治にわたる事項があればこれに該当するというわけのものではなく、たとえ経済的な要求事項と併せて政治的な要求事項を掲げているときであつても、右政治的な事項が争議行為の主たる目的ではなく、単に争議行為の機会を利用して政治的な意見ないし要求を表明しているに過ぎないような場合、さらに言葉を換えていえば、右政治的な事項も主張はするが、それが全面的若しくは部分的にでも容れられない限りその争議行為を中止しないというほどの強大な比重を占めていないような場合は、これに該当しないものと解するのが相当である。
本件の場合について観ると、押収にかかる「指令指示集」(当庁昭和三七年押第六八七号の一〇)等の中に存する「指令第三七号」によれば、昭和三三年春季闘争の目標は全逓第一六回中央委員会の決定に基づく要求事項の解決を図ることにあるとされており、そして、押収にかかる「第一六回中央委員会速報」「第一六回中央委員会議案報告書」「斗いの旗の下に」(同押号の二一、二二、二八)及び当審証人下村義美(当時全逓中央本部企画部長、現在全逓副委員長)の供述等によれば、右第一六回中央委員会で決定された要求事項は(一)新賃金二、四〇〇円増額の闘い(二)最低賃金法制定の闘い(三)不当処分撤回、スト権奪還の闘い(四)特定局制度撤廃の闘い等七項目に及んでいることが明らかであつて、右のうち純粋に経済的なものと認められるのは(一)のみであり、他は多かれ少かれ政治的なかかわりあいを持ち、殊に(三)は純粋に政治的な要求事項と認めることができる。しかし、右証人下村義美の供述に徴すれば、右春季闘争の一環として行なわれた本件争議行為の中心的な目標とされていたのは右(一)の二、四〇〇円の賃金引上げという事項であり、現に公労委(公共企業体等労働委員会)に対し調停の申請がなされたのも同事項のみについてであり、他の事項は、右争議行為の当時においては、すでに一応解決され(例えば(四)の問題)或いは将来の交渉に持ち込むということ(例えば(二)の問題その他結婚資金、退職年金制等の問題)で、いずれもこれを闘争目標から除外し得る情勢にあつたのであつて、結局右争議行為にかけられていた要求事項は右(一)の二、四〇〇円の賃上げという経済的なもののみであつたと認めることができる。他方、押収にかかる「事前警告文」大、小各一部(同押号の三九)によれば、使用者側たる東京郵政局長等においても、本件争議行為の主たる目的は右(一)の賃上げという事項に存するものと受け取つていたこと、が窺われる。以上考察したとおり、本件争議行為は、経済的な要求事項のほか、多かれ少かれ政治にわたるいろいろな要求事項を掲げてはいるが、後者は争議行為の命運を決するほどの切実重大な意味あいを持つものではなかつたと認められるから、前段説示の見解に照らし右争議行為は前記(イ)にいわゆる「……政治的目的のために行なわれたような場合」に該当しないものというべきである。
五、次に、本件争議行為が前記(ロ)の「暴力を伴う場合」に該当するかどうかについて、考察すると、原審並びに当審で取り調べた証拠を精査しても、本件争議行為そのものが暴力の行使を伴つたという形跡は見当らないので、右(ロ)の場合にも該当しないことが明らかである。
六、最後に、本件争議行為が前記(ハ)の「社会の通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合」に該当するかどうかについて、考察する。
先に、四、五で論じた前記(イ)(ロ)の基準は、その内容に関し意見の対立が見られるほか、それ自体としては今日の通説的見解上当然のこととされているところであり、特に疑義を挿む余地も存しないが、右(ハ)の「……国民生活に重大な障害をもたらす」か否かを公労法第三条、労組法第一条第二項の適用基準とすることは、右大法廷判決によつて初めて打ち出された見解であつて、その内容自体も、概括的抽象的であるため、その明確な意味を把握することが困難である。又、このような基準を新たに提示するに至つた論拠も、関係部分(理由の五)は勿論、全体の判文上からも明らかでないため、この面からその意味内容を確定するための手がかりを得ることも困難である。例えば、同判決は、理由の一の第三段の末尾において「ただ、公務員またはこれに準ずる者については、後に述べるように、その担当する職務の内容に応じて私企業における労働者と異なる制約を内包している……」と述べ、これを受けるものの如く理由の二の第一段において(但しここでは、右の公務員等のみに限定せず、すべての勤労者に通ずることとして述べられている)「……これらの権利(労働基本権)であつても、もとより、何らの制約も許されない絶対的なものではないのであつて、国民生活全体の保障という見地からの制約を当然の内在的制約として内包している……」と述べ、再び理由の四の第三段冒頭において「……さきに述べたように……」との断り書を付けて同旨の見解を述べているが、労働基本権の制約に関する右のような考え方は、最高裁判所としては初めて表明したものであり、且つ恐らく同判決を支える重要な基礎的見解の一つに属するものと考えられるので、ここにいう「内包」或いは「内在的」というのは、当該権利の概念そのものとしてそうであるのか、それとも当該権利の存在理由の中にその契機が存するのか等について、何らかの具体的な説明ないし論証がなされて然るべきであると思われるのに、必ずしもそのような説明ないし論証もなされていない。右判文だけから観ると、そのいわゆる「国民全体の利益の保障という見地からの制約」なるものは、特に「内包」或いは「内在的」という表現ないし思考の仕方をしなくとも、外部に存する他の利益ないし権利による「外来的な制約」として捉えられても一向に差支えないのではないかとさえ思われるのである。又、同判決は、理由の五の第二段の中において、公務員の職務と公共企業体等職員(以下公企体職員と略称する)のそれとについて公共性の強弱を比較し公務員の職務の方が公共性が強いと判示しているのであるが、一般的概括的には同判決のいうとおり公務員の職務の方が公共性が強いと言えようけれども、具体的個々の職種について比較してみると必ずしもそうでない場合も考えられるのであつて、このような公共性の強弱に関する一般的概括的な比較論は、公労法の中に国家公務員法や地方公務員法のような争議行為共謀等に関する一般的な処罰規定が設けられていないことの説明とはなり得ても、問題になつている公労法第三条が労組法第一条第二項の適用を排除していない趣旨を考察し、或いは具体的特別の職種における而もその業務全般ではなくその中の郵便物取扱のみに関する罰則である郵便法第七九条第一項の適用の有無を判断するうえにおいて、どれほどの力をもち得るのか、これ亦疑の存するところである。
このようなわけで、当裁判所としては、先ず、刑事法規の適用基準として本来厳格性を要求される右(ハ)の基準の意味内容を明らかにするため、判文を各方面から仔細に検討し、そのよつて立つ論拠を探究し、或いは問題点を吟味しつつ、何らかの手がかりを見出すよう努力を重ねたのであるが、結局において、その明確な意味内容を把握するのに大きな困惑を感ぜざるを得なかつた。
しかし、それはそれとして、本件の差戻を受けた当裁判所は、その立場上、右大法廷判決の示すところに従い、ともかくも右(ハ)の基準の意味内容を探り、同基準に照らして本件犯罪の成否を判定しなければならない。
そこで、先ず、同判決が提示した右基準の意味内容を、関係部分の判文に照らして考えてみると、二で引用したとおり「……国民生活に重大な障害をもたらす場合には、……争議行為としての正当性の限界をこえるもので、刑事制裁を免れない……」旨判示しているのであるが、ここでも、このような例外基準の設定の仕方は、解釈の如何により、一方で与えて他方で奪うということになるのではあるまいかという疑問に逢着するわけである。即ち、争議行為というのは、その本質的な要素として、業務の正常な運営を阻害するという性格を帯びているものであり(公労法第一七条第一項前段、労働関係調整法第七条等参照)、このような要素がなければもはや争議行為とは言えないのであるが、同判決自ら理由の四の第三段の中において指摘しているとおり、「いわゆる五現業および三公社の職員の行なう業務は、……国民生活全体の利益と密接な関連を有するものであり、その業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあることは疑をいれない」のであるから、これら職員の行なう争議行為は、それが効果的であればあるほど、国民生活に重大な障害をもたらす可能性が大きくなり、その結果争議行為としての正当性の限界をこえ、右基準に照らして刑事制裁を免れないということにもなりかねないのであつて、こんなことでは、折角これら職員の争議行為も原則として労組法第一条第二項の適用を受け刑事制裁の対象とならない旨判示している趣旨を、殆ど没却してしまうのではなかろうか。少くとも、同判決のいうところに従えば、刑事法上これら職員に許される争議行為は、「その業務の停廃が……国民生活に重大な障害をもたらすおそれがある」ものとしてある程度の効果を伴うものであつてもよろしいが(そうでなければ、効果のない争議行為だけしか許されないというおかしなことになる)、現実に「国民生活に重大な障害をもたらす」程度に達してはならないという、極めて微妙なものとならざるを得ない。これでは、刑事法上このような争議行為を許されることになつた公企体職員自身が、その程度の選択に迷わざるを得ないであろう。当裁判所も亦、同判決の真意が何処に存するかを、的確には捕捉することができない。ただ、わずかに、右基準が、公企体職員の争議行為に刑事免責を与えるという原則に対する例外の場合に関するものであつて、実質的に右原則の内容を減縮するものではあつても、これを空洞化してしまうほどのものではあり得ないという常識的な考え方、即ち、これら職員が右原則に従い刑事制裁を受けないで争議行為をなし得べき領域も、ある程度の幅をもつて保留されているとの考え方を、拠り所の一つとして、本件犯罪の成否を判定することにしたい。
次に、右基準の意味内容を、その「国民生活に重大な障害をもたらす場合」という字義そのものについて考えてみると、その例示として「社会の通念に照らして不当に長期に及ぶとき」ということが挙げられているが、その他の例として、その争議行為が全国一斉若しくはこれと同じような規模において行なわれるときとか、或いはそうでなくても広範囲にわたり且つ長期に及ぶ(必ずしも社会通念上不当に長期に及ばないときを含む)ときとか、或いは広範囲且つ長期にわたらなくても国民の一部に私生活上取り返しのつかないような深刻な障害を与えるときなどが、考えられる。さらに、国政(外交、防衛、治安等を含む)、地方行政、国民生活上重要な国際若しくは国内の経済取引等に対する障害が、ときによつてはこれに該当することも、考慮されるべきであろう。
先にも述べたとおり、右基準の意味内容を全面的に明確にすることは困難であるが、さしあたり右に並べたような若干の基本的な考え方を目安として、以下、本件の具体的争議行為が右基準の場合に該当するかどうかについて、考察する。
先に、三(別紙一覧表を含む)で判示したとおり、本件職場離脱者三八名が職場離脱により郵便物の取扱をしなかつた時間は二時間四〇分位ないし六時間位であり、その間取扱をしなかつた郵便物の数は普通郵便課伝送掛において甲種郵便物約一五、七〇〇通、乙種郵便物約四九、〇〇〇通、集配課配達内務外務両掛において普通郵便物約一三八、〇〇〇通、普通速達郵便物九五三通、書留通常速達郵便物六〇九通、普通書留郵便物三、五八三通の多数に及んでいることが明らかである。しかし、いずれも当審で取り調べた証人久保義信の供述並びに東京中央郵便局「郵便業務運行日報」(そのうち、「昭和三三年三月一九日水曜日の状況、同月二二日報告」という旨の記載のあるもの)、同局「昭和三三年三月二〇日普通郵便課業務運行状況調書」を含む各課各掛の各状況調書綴(特に普通郵便課伝送掛の「昭和三三年三月二〇日普通々常郵便物差立状況調書」、集配課長石平米作の「昭和三三年三月二〇日集配課業務運行状況調査」)等によれば、右郵便物不取扱により生じた郵便物の差立遅延は、普通郵便課伝送掛において二時間五〇分ないし一〇時間三〇分、その他の掛或いは課においても管理者により定時に差し立てられたものを除き最低二時間三五分最高二四時間という状況であり(なお、差立を受けた各地における配達遅延も大体において二四時間を出でないものと推認される)、また、集配課における配達遅延も三〇分ないし六時間四〇分(なお、小包配達については、二五分遅れて出発したが、帰局時間には影響がなかつた)という程度であつたことが認められる。この間速達郵便物或いは国政等に関する郵便物について何ら特別の配慮が用いられていなかつたことは、いわゆる「国民生活に重大な障害をもたらす」危険を孕んでいるものであり、殊に速達郵便物が右二四時間を相当程度にこえて遅延するということになれば、これを利用する国民の私生活にも深刻な影響を与えるものとして問題視せざるを得なくなるわけであるが、本件の場合は右に述べたとおり辛うじて二四時間以内の遅延に止まつており、又、国会関係の郵便物については管理者の処理により予定どおり差し立てられている。従つて、結局するところ、本件の上述のような事態が現実に国民生活に重大な障害をもたらしたものとは認め難い。
(なお、本件は、起訴状でも言及しているとおり、昭和三三年における春季闘争の一環として行なわれたものであり、前に掲げた「指令指示集」の中に存する「指令第三七号」等により明らかなとおり、全国の主要郵便局五七局にわたる規模において行なわれたものであるが、公訴事実としては、そのうちの東京中央郵便局(特に普通郵便課伝送掛、集配課配達内務外務両掛)における郵便物不取扱の事実のみを対象として取り上げているものと解されるので、以上のように、同局における事態のみについて考察したわけであるが、当審で取り調べた長野郵政局長の「春期闘争状況について」と題する報告書及び大阪、名古屋、金沢、広島、熊本、仙台、札幌、松山各郵政局長の同種の報告書によれば、他の全国五六局における郵便物不取扱の時間は最低一五分最高五時間二五分位であり、その影響も東京中央郵便局における事態と大同小異の程度のものと推察され、これを右各局全般にわたる規模のものとして考察しても、結局同様の判断に帰着する)。そして、他に、前述のような当裁判所の基本的考え方に照らし国民生活に重大な障害をもたらしたものと認めるべき状況は存在しない。従つて、本件争議行為は右(ハ)の場合にも該当しないものというほかはない。
七、以上考察したとおり、本件石崎民次らによる争議行為は、形式上郵便法第七九条第一項の構成要件に該当するけれども、前記大法廷判決が示した三つの例外的場合のいずれにも該当しないから、公労法第三条、労組法第一条第二項、刑法第三五条の趣旨により罪とならないものというべく、従つて、右争議行為を教唆したという起訴状記載の公訴事実も罪とならないわけである。原判決が、右大法廷判決とやや異る見解に立脚しながらも、本件の被告人全員に対し刑事訴訟法第三三六条前段により各無罪の言渡をしたのは、結局において正当であつたといわねばならない。
そうだとすれば、検察官の本件各控訴は、いずれの面から観ても、その理由がないことになるから、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却することにして、主文のように判決する。
(裁判長判事 新関勝芳 判事 吉田信孝 判事 大平要)
別紙一覧表<省略>